ガガガSPで死亡したメンバーは誰?活動自粛は本当?病気の噂も調査

日本のロックバンドとして楽曲「線香花火」や「国道二号線」「晩秋」など数々のヒット作をリリースしたガガガSP。日産セレナのCM曲「にんげんっていいな」やナルトのエンディング曲「はじめて君としゃべった」などで一躍人気となりました。そんなガガガSPですが、メンバーが死亡したと噂になっています。当サイトでは過去にサンボマスター メンバー 死亡について解説しましたが、今回はガガガSPのメンバーが死亡した噂について解説していきます。

ガガガSPのメンバーが死亡したって本当?

ガガガSPのメンバーが死亡したのは本当です。2025年2月10日にガガガSP公式SNSアカウントにて、メンバーでベーシストを務める桑原康伸が2月5日に心不全によって亡くなったことを報告。10日に行われた葬儀では、ボーカルのコザック前田が桑原夫人たっての希望でリリース楽曲「卒業」と「すばらしき人生」の2曲を弾き語りで披露したそうです。

その夜、公式アカウントより「ライブ出演についてのお知らせ」が投稿され、桑原康伸が楽しみにしていた2月22日の台湾ライブに出演することが発表されました。

ガガガSPは活動自粛している?

ガガガSPと検索すると、サジェストに「活動自粛」と表示されますが、ガガガSPは現在活動自粛していません。この噂について紹介します。

活動自粛を求めるメッセージに反論したから

2019年10月10日、ガガガSPのボーカルを務めるコザック前田がX公式アカウントを更新。コザック前田が教員によるいじめ問題が発覚した神戸市立東須磨小学校出身であることから活動自粛を求めるDMが届いたことを明かしました。これに対しコザック前田は「関係あらへん。バカが多いぜ、世の中は」と反論しています。

神戸市立東須磨小学校では当時、20代教員が同僚の先輩教員4人から激辛カレーを目にこすりつけられるなどのいじめ被害があったことが発覚しニュースになっています。

病気によりバンド活動を休止したから

ガガガSPは、一時期バンド活動を休止していたことから「活動自粛している」と思われたそうです。ガガガSPは時折、メンバーであるコザック前田や桑原康伸の体調不良などによって活動休止しています。度々行われる活動休止を活動自粛と勘違いした可能性があるでしょう。

ガガガSPのメンバーが病気の噂について

ガガガSPのメンバーが病気と噂されていますが、これは本当です。ボーカルを務めるコザック前田やすでに亡くなっているベーシストの桑原康伸の病気についてガガガSPはメディア等で公表しています。ここではメンバ―それぞれの病気について紹介します。

桑原康伸は過去に急性膵炎で入院していた

ガガガSPでベースを担当していた桑原康伸は、2012年8月に急性膵炎を発症。東京女子医大病院に入院し、療養することになりました。これに伴いバンドは一時活動休止となり、同年8月に開催予定だった全国ツアーやアルバムリリースの延期が決定しました。

バンド活動の休止期間中は、コザック前田がソロで引き語りライブなどを開催。2013年1月14日、桑原は急性膵炎から復活し、神戸のライブハウスで行われたワンマンライブにてバンド活動を再開しています。

コザック前田は依存症を告白

2023年12月、コザック前田は読売テレビの取材に応じ、アルコール依存症と睡眠薬依存症と戦っていることを告白しています。

出典:読売テレビニュース

プレッシャーにより不眠症に

コザック前田は、15年ほど前にライブや作曲のプレッシャーにより不眠症になり、睡眠薬を服用。毎日1~2時間しか寝られない日が続き、お酒に頼っても眠れないことから睡眠薬を飲むようになったそうです。

最初は容量を守って使用していましたが、次第に耐性ができ過剰摂取していきます。睡眠薬の過剰摂取により、精神が不安定なのをごまかすためにアルコールが増え、常に泥酔状態で過ごすようになったそうです。

バンド活動に支障

睡眠薬やアルコールへの依存が高くなり、バンド活動もままならない状態になったそうです。ライブ中に記憶が飛ぶことになったり、打ち上げで人に暴言を言うなど、次第にメンバーからも距離を置かれます。

療養のためバンド活動を休止

2017年、これ以上飲めないと限界を感じたコザック前田は、周囲の勧めもあり精神科病院に入院。本格的な依存症治療を受けることを決意し、バンド活動を休止します。

バンド活動を再開

本格的な依存症治療を始め、依存症であることをブログで公開したコザック前田。断酒を行い、睡眠薬の過剰摂取も無くなったことからバンド活動を再開します。治療から数年経った現在も月に1度は心療内科で診察しているそうです。

ガガガSPの経歴

ガガガSPの経歴を紹介します。

バンド結成

1997年12月、当時高校3年生だった前田は友人と神戸ルミナリエで路上パフォーマンスするためにユニット「ガガガ」を結成。行ったパフォーマンスで、投げ銭3万円を獲得したことでバンド活動を継続。翌年の3月に行った前田の高校卒業ライブでも客から高評価だったため、本格的にバンド活動を継続することを決定します。

その後はメンバーの加入や脱退を繰り返し、前田・田嶋・山本・桑原の4人編成バンドグループに。2000年末には楽曲「京子ちゃん」でインディーズデビューを果たします。

メジャーデビュー

2002年に楽曲「卒業」をリリースし、ソニー・ミュージックレコードからメジャーデビューします。オリコン最高30位を獲得し、オリコンへの登場は18回を記録しました。

その後は「国道二号線」や「晩秋」など数々のヒット作をリリースし「青春パンクバンド」を確立していきます。

再びインディーズへ

2006年11月、ブログにてインディーズへ戻ったことを報告。約4年10か月のメジャー生活を終え、自己レーベル「俺様レコード」を設立します。その後は様々な楽曲のリリースやライブイベントを開催していきます。

2011年は、東日本大震災の復興支援ソングとしてガガガDX名義で「火の鳥」を配信。チャリティーライブとしてコザック前田のソロ引き語りライブを敢行しています。

まとめ

今回は、ガガガSPで亡くなったメンバーや活動自粛、病気について解説しました。2025年2月にメンバーでベーシストの桑原康伸が亡くなったガガガSP。その後、台湾のライブイベントを機に活動を再開しています。再始動を始めたガガガSPが今後どのような活躍をしていくのか注目です。